冷 凍 船 へ の お 客

  冷凍船は一万トン級の船.母船から受け取った 
クジラ の 肉 の 塊 を加工してダンボ−ル

  に詰める、内地へ帰ればすぐに出荷できる商品にしてしまいます.

  また
 クジラの 皮 は厚さ10セイチ以上ある油層です.これを10センチくらいの短冊状に

  切り、塩付けして冷凍して持ち帰ります.

  これの食べ方は2ミリくらいに薄く切って塩抜き湯がきます.白くちじりあがります.

  しみ豆腐を薄くしたような感じ、しかしわりとしこ〜していて酢味噌とうで食べると

  なかなかうまい. 
酒 の つまみ によし.オバケ といっておりました.

  今の若い人たちは捕鯨禁止の時代ですので見たことも食べたこともないと思いますが.

  ある日冷凍船からレ−ダ−の調子がおかしいので見に来てくれないかとの無線電話連絡が

  ありました. どんな故障かなと思いながら船に乗り移っていきました.

  レ−ダ−を見ると特に異常はない.異常ありませんね、と言うとおかしいですね.

  2〜3日泊まって見てくれませんか、という.時々見ていたが異常はない.

  後で気づきました.
 レ−ダ−の故障は名目で 船 旅 行 に 招 待 してくれたのでした

  食事では クジラ  フルコ−ス  ご 馳 走. クジラの刺身、尾の身 クジラ尾の部分

  から少ししかとれない高級品、当時内地でも高級料理 屋でしか食べられなかったそうです.

  もちろん私も食べたことありませんでした.

  マグロ で言えば トロ和牛でいえば 霜 降り といった感じ、毎日食べても飽きない.

 
 すき焼き、バタ焼き、そしてオバケ  料理人が腕をふるってくれました

  また
を飲みながら おもしろい話 も 聞かせてもらいました.

   おかげさまで
海上生活をしていながら 2〜3日の 楽しい 船 旅 ができました.

  半年近くの間 暇は十分あると思いましたので参考書を持ち込んでおきました.

 英 語 の参考書、半導体の原書 (半導体が出始めた頃でしたので英語の勉強を兼ねて)

    カラ−テレビジョン設計 の参考書 等

 30年代 カラ−テレビ が出始め頃です.

 まだ値段が よかったので一般の家庭では数えるくらいでした.

 ある家で
カラ−テレビを入れたら 相 撲、力道山カラテ試合が放映されると

   近所の人が 座 敷 に集まって見たそうです.

  テレビ の送信装置、受信装置は レ−ダ− のそれとよく似ております.

 時間はたっぷりあるのでカラ−テレビの設計をしてみることにしました.

 参考書を見ながら自分の好きな回路を集めてのりとはさみで自分なりの回路設計が

   出来ました.

 部品表を作り、部品の価格も調べました. 部品だけで 
約30万円 くらいになりました.

 当時
 私の月給が 3万円 程度でしたので、やはり手がとどかないことに気づきました.

  回路図 だけが 
おみやげ となりました.    イメ−ジ 回路図  添付


         

   お 遊 び お ま け     

  南 氷 洋操 業 を 終えて 帰 路 につきました

      みなさん 緊 張 もとけて のんびりした 日 々 を 過ごしました

      私 も 医務室 ドクター と 囲 碁 を打つ が 多くなりました

      内 地 へ 帰る日 が 近づく頃 になると さすがに 皆 さん 手 持 ち の がきれてきました

        私 も ドクター も きれました

      そこで ドクター 医療用 アルコール を 持ち出して グラスに入れ、少し 砂 糖 入れて

         マッチ で  をつける

   アルコール の 匂い が少しとれたところで 水 割 り して 飲 む  これでも ないよりは まし

   ドクターメチルアルコールではないから  はつぶれないよ と言って 笑って おりました



      約 半 年 間 の 船 の 上 で の 生 活  私 の 一 生  で 大きな イベント の 一つ

         楽しい 思い出  となりました  幸せ           old  M y H P へ




     関 連 資 料   ク ジ ラ  種 類  世 界 に イルカ を 含めて ク ジ ラ  80 種 類 以上 あるという

 
               捕 鯨 船 が 捕 獲 するのは マッコウ ク ジ ラ   と  シロナガス ク ジ ラ です


     

    

          大 王 イ カ
  ← クリック


                   

             イラスト 大 き さ  人 間  と 比 較     
 

       

      海 面 に 浮かぶ 氷 山

    12月から4月頃  
日本では  ですが 南氷洋では  です

   
南 極 大 陸 の  がとけて 崩れ落ち 氷 山 となり 漂 流 します.       

   このとき、 
海には プラントン、オキアミ、えび 等 が 大発生 する

   これを 
 に クジラ が 集まってくる のだそうです.

   ご存知のとうり
は水面に1/5程度しか見えませんがぶっかれば沈没してしまいます.

   そこで
の暗い ときは レ−ダ− なくてはとても走れません.

   
船 団 のうちに クジラ の群 が 居そうな方へ 移 動 します.

   あちこちに浮かぶ
氷 山レ−ダ−故 障 すると 走れないので

 
  船 団 からとりのこされてしまい 大 変 なこととなります.

  どこかの船の機器が故障しなければ直接の仕事はありません.

  せいぜい
各メ−カから渡されてた 機 器 の取り扱い 説明書 を見て 予 備 勉 強

     しているくらい.

  各船の無線機器は
通 信 士 が保守しております.

  しかし故障しててこずると母船にいる私に
無 線 電 話 でヘルプをもとめてきます.

  このとき、まず取り説と回路図を出してください. そして取り説のナンペ−ジの

  どこどこを見て回路どの部分をチェックしてみてくださいと連絡する.

  これを2,3度繰り返してるとほとんどが直ります.

  各船の通信士さんはこの無線電話をみな傍聴していたようです.自分の船で

  故障したときの参考にしたとのこと. 私は電話連絡のさいに え〜.え〜 という癖がありました.

  無線電話が終わった後、どこかの通信士さんから三輪さん先ほどの連絡で

  え〜.え〜 を 何回言いましたねとひやかされました.

  しかし電話連絡でどうしても直らないときにはその船に乗り移っていかなければなりまん.


  あるとき キャッチャ−ボ−ト の レ−ダ−故 障 で乗り込みました.

  このときの母船からキャッチャ−ボ−トへ乗り移る時が非常に危険です.

  私は大きな竹篭に乗りウインチでぶらされられて母船からキャッチャ−ボ−トへ渡される.

  キャッチャ−ボ−トは波で母船にぶっかったり、離れたりしております.

  この船と船の間に私の籠が挟まれたら大変なことになります.

  受け渡す母船側、受け取るキャッチャ−ボ−ト側の方々それぞれ真剣作業

     そのもの でした.

  キャッチャ−ボ−トへ乗り移ると母船とはちがい大きく揺れるのですっかり酔って

  しまいました.何を食べても、なにを飲んでもすぐに吐いてしまいます.

  疲れてくると、かったるくなってよく動けません.また思考力も低下してきます.

  陸地なら半日もあれば直る故障でしたが2日かかってしまいました.

  運悪くマストてっぺんのアンテナの下に送受信部が故障しておりました.

  マストに登っていかなければなりません.マストはしぶきで氷でつる〜でした.

  そのときは無我夢中でさほど怖いと思いませんでした.

  しかしマストてっぺんにいた時に船が揺れて傾き海面が目の前に見えたときは

      さすがに びっくりしました.


   無 事、修 理  が終わり 母 船 に帰る.

  母 船 では 
小 さ な ベットル−ム 個 室 が与えられておりました.

  ベットの上には 
一升 ビン が 横たわっておりました. ご 苦 労 さんといわんばかりに.
    
      
 好きな 私、疲れは飛んでしまいました.

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  半年の間いろんな故障がありましたが今思うとよく直ったもんだなぁという感じです.

  人間はいざとなると 
火事場 の 馬 鹿じから ではありませんが想像以上の ちからが

      出るもので しょうか.



無線機器製造メ−カ−に勤 務していた当時、会社から 派 遣 されて 無線機器全般の 保守員

 として 
南氷洋 への 捕 鯨 船 団  に随行しました.今から 50年も前 のことです.

レ−ダ−故障修理のため 母船 より

   竹駕篭にのって
ウインチ で乗り移る

赤道祭 での運動会

カラ−テレビジョン
  設計
回路図

当時は世界の漁業国で 捕鯨オリンピック と言ってあらそって鯨を捕りまくりました.

 日本からは日本水産、大洋漁業等 確か 7船団 がくりだしました.

 

甲 板 の 木枠 の中にあるのは 解 体 された
    鯨 肉  約 1
  これは 冷凍加工船 に 引 き 渡 される

私は 日本水産   第2 図 南 丸  船  団 でした.

   器用 業員 さんの おみやげ 作 り

  マッコウクジラの 
 を使って

  歯 は直径 数センチ、長さ 20センチ くらい

  これでパイプを作ったり、いろんな工芸品を作くっておりました.

  牡クジラの エトバス を使って

  エトバスは 直径 
30センチ、長さ 2メ−トル以上 あります.さすがは地球上最大の

  哺乳動物この皮を鞣(ナメ)してハンドバッグ、バンドベルト、そのた
 皮 細 工 品

  シロナガスクジラの 
 (エラ
) を使って

  口の中の鰓はしゅろの葉のようなものが沢山重なっておのます.

  クジラは大きな口をあけオキアミやえびを一気にほおばりこの鰓を使って水を

  吐き出して
餌だけ 飲み込み ます.濾 過 装 置 です.

  この一枚一枚を使って
 大きな 扇 子室 内インテリヤ グッヅ  等 を

        作って おりました.

 
南氷洋 捕鯨船団 随行して

BGM trip

 昭和35年11月 始めに 神戸港 出港 

            約半年間 の海の上での 生 活 がはじまる.

   神戸港 出 港 のときは 神 戸 市 が 歓 送 してくれました.

岸壁では 
鼓笛隊の演奏、海の上では  消防船が放水して 噴 水 をあげてくれる

  船 は 神戸港 を 出 港 して 約ケ月 で 南氷洋 漁 場 に着く、
   
   漁 場 で
ケ月 ほど 操 業 して 帰る    また ケ月.

家族の方、会社関係の方、業者、官庁関係の方々等大勢の人々に見送られ テープ
    
    飛 び かう なかの
出 港 でした.   

往路、漁場 へ着くまでのでの 生活

母 船 にはスタッフの外、作業員が 約200名 おりました.漁具の手入れや整理の日々

 

私は 各メ−カ−から依頼された 機器の取り扱い説明書 をめくる日々、また夜には甲板に

設営された銀幕に持ち込まれた古い映画フィルムの
 映 写 技 師  となります.

漁場へ着くまでには暴風圏を通過します.海は白波がたち大荒れ2万トン級の

母 船 でも大きくゆれますキャツチャ−ボ−トは 木の葉 のように揺れておりました

また 赤  道  を通過する際は赤道祭 が行われ甲板上で 運動会 して楽しみました.  

   
夕 食 には お も 出 て ご 馳 走 を 沢山いただきました.

では規律も厳しく階層がはっきりしておりました.最上階はサロンといってトップクラス

 
船団長(操業の最高指揮官)、船長、一等航海士、機関長、通信長(無線局長)

ドクタ−(医務室長)、気象士(操業のため海上での気象解析が重要)、パ−サ−(事務長)

その下の階 が スタッフクラス士官級 私もこのクラスにおりました.

その下が 作業員部屋 バス、トイレ、食堂 みな 分かれておりました

 いざ 漁場 到着 鯨 とり 戦争 が はじまります

最初は
マッコウクジラこれは母船に引き上げられて切り刻まれ ボイルして 鯨  油 

 をとる.マッコウクジラのお腹には
大王 イカ と言って大きな イカ化け物 が 

    鵜 呑 み
 に されていました

 
太 さ 約 20 センチ、 体 長 約 8メ−トル.  まづは びっくり

                         
  
       
  大 王 イ カ

マッコウクジラ 主 食、大 王イカ鵜 呑みにする
 
  しかし、
大王 イカ 必 死 に 抵 抗 する

 大王イカ足の吸盤は貝殻のように固く、上の 右図

  マッコウクジラの
皮 膚傷つけた 吸 盤 の


  この頃は  オオロラ がよくみえました.

 しばらくすると本格的な
 シロナガスクジラ となります.

 この時期になるといわゆる
白 夜 といって夜の時間になってもちょつとうす暗いかなと

 思うとすぐに明るくなってしまいます. そこで作業員は
24時間 3交代制 となります.

 キャッチャ−ボ−ト  鯨を撃ち捕る専門の船 700〜800トン 12 艘

 綱
付き の モリ を打ち込んで 船 に 引き寄せる.打ち捕られた

 お腹に
エア−を吹き込み ラジオブイといって発信器 を取り付けて浮かせておきます

    
 は 次の を 捕 りに 走る.

 この
にうかんだ は拾い集めて 母 船 に 運ぶ専門 の があります (鯨曳船)

 発信器 からは どの船 が何番目 に 捕ったという 信号を 発 信 している.

 この信号たよりに 
方向探知器 で浮かんでいるところまでいってひろう.

 
キャッチャ−ボ−トはなんと言っても 砲手腕前 負 がきまります.

 
の 撃ち方、鯨 が 水 面 に出した 瞬 間 を狙うのだそうです.

  これが 非 常 にむつかしい とのことです.

 一度 撃ち 損なう と 潜って しまい次に 浮かんでくるのに 相当時間 がかかります.

 一発必中 が 効 率よい.一日にシロナガスクジラ15 頭 も 撃ち捕る 砲 手 もおります

  ある会社の
名砲手 が業績を評価されて 取締役 になった.と聞いたことがあります.



  
母 船  撃ち 捕られた を引き上げて 解体作業 をおこなう  2 万 トン 

  
会社 スタッフ このほか 約200 名 の 作業員 主に、山陰方面からの 季節労働者

    殆ど 毎 年 決 まった 人々



  
マッコウクジラ解 体 して ボイル し. 鯨 油 をとる

  
シロナガスクジラ解 体 して 写 真 に 見るような 大きな 肉の塊 として 冷凍船 に 引き渡す

  
シロナガスクジラ 体 長 30 メートル あります 大きな 長 刀、なぎなた で お 腹 を 開くと

  トラック に 何 杯 もの
オキアミえびらしき ものが ほどでてきます。

  新鮮な
くるまえび のようで 食べられそうです。 昔 たれかが 食べたそうですが

  
一 発下 痢 したそうです。

  クジラ の
唾 液 がまわっているからだそうです。 これは にながす

  
(オス) クジラエトバス直 径 30 センチ くらい 、長 さ 2 メートル 以上 もあります、

 
(メス) クジラエトバス に おまえさんが落ちたら 出てこられないよと 言って 笑われました。

      さすが は
地 球 上 最 大 の 哺 乳 動 物 です。

 

母 船 第2 図 南 丸

目 隠 しで変な スイカ割り  

船尾の四角い穴くじらを引き上げるゲ−ト

白ながすクジラを追跡する
  キャッチャ−ボ−ト

くじら解体作業風景

漁場くまでの 操業準備作業

神戸港 出港当日

       私も 若い時 があった

今年は 喜寿 をむかえました 平成 22年

 母船に随行する 冷 凍 船 

母船で解体された
しろながすクジラの

加工、箱詰めし 冷 凍 て持ち帰る
                              

 

kujira-1

   フィルムが紛失してしまったので Yahoo より

  漂 流 しながら少しづつ溶けていく
氷 山

 夕 陽 に映える 氷 山

巨 大 氷 山

       オキアミ
   体長 10 p くらい え び に 似ている

  南極大陸の氷が溶けて氷山となって海に流れだす

   この氷が溶ける際にオキアミが大発生します

  オキアミを求めてクジラが遠くの海から集まってくる

      このクジラ を 人 間 が捕りまくる

      赤 道 祭 の 運 動 会 場

甲 板 の 広 さ  幅 50 m  長 さ 100 m 以上

http--kame3.org-ver6-

南 極 大 陸 Antarctica

つぶしの 勉 強 

船 の上 での仕事

    オキアミ 大 発 生 

 ナガスクジラオキアミ を 海 水 ごと

 大きな口に ほほばり エ ラ で 濾 過 して

        海 水 を 吐 き 出す

海 面 に オレンジ 色 の お び 状 に見えるものは 

    ク ジ ラ の  です
 

 これは シロナガスクジラオキアミたべかす です  

    大 王 イカ

 マッコウクジラ に 噛 みつかれた 傷 痕

 体長  メ−トル  足の太さ 20 センチ 

アオイ カ イカ 体長  メ−トル

 NHK TV  Special より

クジラの 皮 剥 き

   大きな ナギナタ で切り込みをいれて

 ウインチで 皮 を引っ張って 剥 ぎ 取る
 

く じ ら を 追 う キャッチャーボート